私たちの個人主義

ゆとり世代の人生戦略

フェアトレードを考えるメモ

【搾取に関して】

不当な状態(労働環境・低賃金etc)に置かれた際に、他の選択をできるか否か、すなわち「選択可能性」の有無が問題の本質なのかなと思っています。

「選択可能性」は、ざっくり以下のように分類できて、
・個人(農民)内部の要因
(1) 技能がない(から、他の選択肢を選択できない)
(2) 情報がない(から、他の選択肢が有ることを知らず、選択できない)

・外部の要因
(3) 他に選択肢(職)が存在しない(から、他の選択肢を選択できない)
(4) 職業選択の自由がない(から、他の選択肢を選択できない)(ex: 強制労働)

「選択可能性」が無い場合に、搾取されやすくなる。

農民のケースでいうと、この「選択可能性」は本来、その国・行政が保証しているケースが多いのですが、 (ex:技能→教育・、情報→教育・情報インフラ、職→経済政策・ルールづくり・産業振興、職業選択の自由憲法・法律 etc..) 一次産品を生産する途上国は、国がそれらを完全に保証できないケースが多く、批判の矛先が、一次産品の最終加工者(?)のスタバに向けられているような。

ただ、とは言いつつ、企業が企業活動を行う上で、ステークホルダー全員が幸せであるべき。 インターネット等の技術で、いろんなものが可視化・拡散されやすくなり、今まで影に隠れていた「搾取」が明るみにでやすくなって (明るみになったからこそ、みんな気にする様になり、エシカル消費とかも生まれてきて)いろんな企業が、ちゃんと農民含め各ステークホルダーが不当な扱いを受けていないかなど気にする様になったのかなと。 (企業イメージ・ブランド管理)

日本のブラック企業なんかも、同じ構造かもしれません。

【一次産品のトレードに関して】

「一次産品を安く買って、高い利益を得ているのに農民に還元していない!」的な意見が有る様な気がするのですが(スタバは儲けてるけど、農民は安い給料で働いている、的な) 企業が生み出す高い利益は、原価を低くすることによって生み出している、というよりも高い付加価値をつけているから生み出されている訳で、この意見は少し違う様な気もしています。

(スタバはコーヒーを提供していますが、それ以上に、空間・カフェで過ごす時間・ブランドetcetcの付加価値を提供しているからこそ、コーヒー1杯が400円とかで売れる。)

一次産品生産国が、一次産品の生産のみしかできず、より高付加価値のものを作れないという構造は、問題な気がします。(言うなれば、これも「選択可能性」が無い)